こんにちは。カウンセリングサービスの青井あずさです。
いつもありがとうございます。
季節はもう秋ですね🌾
私の自宅の周りはもうそろそろ稲刈りの時期です。
今日は題名の通りなのですが、
夏休みの最後に息子が二回目の家出をしました。
そんなお話です。
(一回目の家出の話はこちらをどうぞ)
夏休み中もコロナ関連の注意喚起から、部活動も中止。
息子はほどんと家にいて友達とオンラインゲームしてるか、
お菓子食べてるか、たまにランニング。
私と言えば家業の農家でナスの収穫で忙しく、
カウンセリングの前に休憩しようとすると、
息子が友達とオンラインゲーム上で騒いでいる様子が耳に入ってきます。
そんなことが毎日のように続いていた夏休みの終盤。
息子も長い休みをもてあましていたのでしょう、
ついに親子で言い合いになりまして…とうとう息子が家出しました。
そして今回の家出先はおじいちゃんのおうちでした(徒歩2分)
そのことを知って私は深い安堵感を感じました。
今回は遠出じゃなかったという安心感と、もう一つ。
息子にとって信頼できる人が親以外にもいたという安心感です。
だから、
息子が家出先としておじいちゃんのおうちを選ぶほど、
おじいちゃんを信頼していたんだということが、
ものすごく嬉しくて安心感を感じたのでした。
夫も嬉しそうに笑っていました。
お義父さん、息子の受け皿になっててくれてありがとう。

私は結婚して14年になりますが、
まぁ夫の実家とは折り合いの悪い嫁でした。
義父とはお互いに手の出る喧嘩もしましたし、
口喧嘩もひどいものでした。
そんなひどい姿を夫と息子にも見せてきたので、
私の中では大きな罪悪感(悪かったなぁという気持ち)があったのです。
夫にも息子にも悪いと思っていたし、
義父にも「悪いことしたなぁ」と思って
バツの悪い気持ちを抱いていた時間が長かったのです。
私が義父の顔を見て話したり、
料理を作って持って行ったり、
息子の学校行事に義父を呼べるようになったのは、実はつい最近のこと。
5年前に義母が亡くなってからなのです。
当時のこと(荒れ狂う嫁時代の悪行)は、
自分から架け橋をぶった切ったように感じていました。
自分から繋がりを壊したように思っていたから、
今度は自分から義父に架け橋をかけることは
ものすごく勇気がいることだったのです。
「あれだけ暴れた私がどの面下げて義父に優しくできるんだろう」
という気持ちと、
「もう一度繋ぎたい」という気持ちで揺れまくり。
私があの時の私を許さないと、どうしても義父に近付けないのです。
その自分を許していくのが一番大変だったかもしれません。
義父と関わろうとすると
「あれだけ暴れたお前が今更?受け入れられるわけないわ」
という声が何度も聞こえてくるのですよ。
義父は割とすぐ私の好意を受け入れてくれてはいたんですが、
私自身が私の暴れん坊時代を許せない間は、
義父とも本当に繋がっている感じはしませんでした。
そんな試行錯誤が約5年。
水臭くても、恥ずかしくても、らしくなくても、でもやってみる。
来年は義母の七回忌があるのですが、「お寺どうする?会食どうする?」と義父と夫と話合えるようになる日がくるなんてなぁ、と感慨深い気持ちでいます。