人と距離を取りたくなる(2)

自分を好きになる

こんにちは、カウンセリングサービスの青井あずさです。

いつもありがとうございます。

先日の人と距離をとりたくなる(1)の続きです。

(1)では、自分を深く責めていると、知らず知らずのうちに人と距離をとってしまうけれども、それって罪悪感の仕業ですってお話でした。

罪悪感があると、「人に顔向けできない、申し訳ない」という惨めな気持ちを感じてしまって、結果的自分から人と距離をとりたくなるので、そのことが孤立に向かわせるのです。

人とのつながりを無意識的に切って行ってしまうのです。

では、つながりを切りたくなった時はどうすればいいのでしょうか。私の例からお話していきましょう。

 ◇   ◇   ◇

私は自分のミスから自分を責めていて、笑顔で助け船を出してくれた上司を遠ざけようとしました。

上司の優しい言葉が「自分を馬鹿にしている」とか、「嘘くさい笑顔だ」と感じてしまって、上司からの気持ちをどうしても受け取れなくて、距離を置きたい気持ちになりました。

けれども、その時には私は心理学を学んでいたので、自分の「ここから逃げたい気持ち」や「相手に顔向けできない気持ち」が「自分の罪悪感が処罰を要求しているから人と距離をとりたくなるのだ」、と頭ではわかっていました。

理屈は分かっていたのです、人と距離をとりたくなるのは、罪悪感だなって。

そして、ここで人と距離をとってきた結果が、自分の孤立をつくってきたのだと気付いてもいました。

ここで求められているのは

つながりを切る選択(恐れからの選択)ではなくて、もう一度自分からつながりを選ぶこと(愛からの選択)。

人の行動の動機は愛か恐れか、どちらかの二択になると言われています。行動動機が愛に基づく場合を「愛からの選択」、行動動機が恐れからの場合は「恐れからの選択」になり、全ての行動の動機はそのどちらかになるのです。

この場合の「恐れからの選択」は、「自分がこれ以上傷つかないように、上司とは距離をとること」。

そして「愛からの選択」は「自分から上司につながること」。思いをかけてくれる上司の気持ちを受け取って、もう一度自分の方からつながるということです。

罪悪感が大きければ大きいほどに、人とのつながりを切りたくなるし、それが自分にとっては自然なことのように感じるのが普通だ、と前回にお話しました。

けれども、ここで自分から上司につながりをつくるのが「愛からの選択」だというのですよ!

心理学を学んでしまったばっかりに、今回自分は愛からの選択を求められているのだ、と思ってしまったのですが…わかってはいるのですが…

「絶対にやりたくない!」と言う気持ちが出てくるのはおわかりいただけますでしょうか。距離取るほうが今まで通り全然ラクなわけです。勝手知ったる孤独、なわけですから。

やりたくない!けれども、ここで今まで通りの選択をすることが自分を孤独にしてきたのならば、自分からつながりをつくっていくしかない。今までとは違う選択をしなければもとのまま。

もう一度つながりを選択するには、愛からの選択をするには、少々の意欲がいるのですね。

人と距離を取りたくなる(3)へ続きます。

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