こんにちは。カウンセリングサービスの青井あずさです。
いつもありがとうございます。
こんなことはありませんか?
失敗から自分を責めてしまって、人と距離をとりたくなる時。
そんな時に感じる感情は「人に顔向けできない、惨めな気持ちを感じる」だったりしませんか。
人に顔向けできない、惨めな気持ちを感じるのは心理学では罪悪感と言います。
この罪悪感か持ってくる「人と距離を取りたくなる気持ち」について、どのように対処していけばいいか、私の例を挙げながらお話していきたいと思いますよ。
◇ ◇ ◇
私が会社勤めをしていたときの事です。
私はあるミスをしました。
渉外のアシスタントの仕事だったのですが、あろうことか日程をミスしてしまって、初期設定したシナリオから大幅にズレてしまったのです。
幸い工期の前に統括していた上司が気付いてくれたのですが、もう一度工期の組み直しになりました。
私はミスした自分が恥ずかしいし、申し訳ないしで、ミーティングに出ていても、皆さんに合わす顔がなくて、でも惨めさを隠したくて、どんどん仏頂面になっていきました。
私のせいで私の仕事が無駄になった。
顔向けできなくて、情けなくて、惨めで、申し訳なくて。
でも、この時に上司が声をかけてくれたのです。
「まぁ、気にせずに。たいしたことないから。次も手伝ってよ」
このように笑顔でいわれたのです。
ここで上司の優しさを受け取って「はい、すみませんでした。手伝わせてください」といえればよかったのですが…
私はこのように思いました。
「はぁ?大したことないミスだと?
どれだけ頑張ってきたと思っているんだ(怒)」
たいしたことないミスと言われると悔しい。
上司の笑顔が私を責めている気がする。
そして、そんな嘘くさい笑顔をするぐらいなら、いっそ責めてくれたほういいのに。
そう、「青井は最低だ」と言ってくれた方がすっきりするのに。
私は心の中で「ミスした自分」を深く責めていました。
「自分のせいでミスして皆さんに迷惑をかけた、自分はダメな奴だ」と思っているわけです。罪悪感です。
心は罪悪感を抱えているのに、上司からの優しい言葉ですよ。
アンバランスなわけです。
心は思っていることと、外に見ている物を一致させようとする作用があります。

私の心が見ている罪悪感(私が悪い)と言う感情と、実際に見ている景色(上司が優しい=私悪くない)が一致しないので、落ち着かないし違和感を感じてしまうのです。
だから、いっそのこと責めてくれればいいのにと思うのです。
責めてくれていたら、ホッとしていたでしょうし、薄暗い安心感(やっぱり私は悪いじゃん)を感じていたでしょう。
罪悪感は処罰を要求するのです。
罪悪感は「自分は罰せられるにふさわしい」と思わせ、実際に自分に罰を与えるような行動を自らしてしまうというのです。
自分に罰を与えるような行動、私の場合は「分離」です。
周りから見たら、「自分から距離を取っている」ように見えます。
でも罪悪感を抱えている人からしたら「人と距離を取りたくなるのは当たり前の事、抗えないこと」のように感じるのです。
本人は「自分は迷惑をかける存在だ」と思っているわけですから、人と距離を取ることは「相手に迷惑をかけないためにやっていること」だったりするわけですから。
このような時には、人からの愛や優しさは受け取りにくい状態になります。
たとえば私だったら、上司の笑顔や優しさが、自分の罪悪感故に「馬鹿にしている」とか「嘘や罠」という風に見えてしまうのように。
自分が悪い奴だから、自分に優しさが向けられることが信じられないから受け取れないだけなのですけれど。
自分が惨めで顔向けできない気持ちがあると、人と距離を取りたくなります。そして罪悪感が増えるたびにどんどん孤独になっていくのですね。
このように罪悪感は「人と分離していう」という処罰を自らに与えてしまう時があるのですね。
人と距離を取りたくなる(2)へ続きます。