「慰み」にという言葉にチクっとする気持ち

自分を好きになる

こんにちは。カウンセリングサービスの心理カウンセラー青井あずさです。

いつもありがとうございます。

私は30代の後半まで、自分の人生を生きているという実感はありませんでした。

「何だか他の人の人生を生きているみたい」

「目に見えるものが全てにモヤがかかっているみたい」

「自分の気持ちがわからない、ましてや自分のやりたいことなど‥」

そんな気分で毎日をただやり過ごしていました。

そしてなんとなく毎日が退屈。

心の中はいつも退屈とめんどくささを感じていました。

そんな思いがあると、心は外に刺激を求めます。

心は退屈な気持ちを感じていると、外に刺激を求めて、その刺激で心を満たそうとすることがあります。

私が刺激を求めていったのは、

洋服、化粧、エステなどなど。

洋服屋さんやお化粧品売り場のカウンターのお姉さんは、お客さんである私の事をとても良く褒めてくれます。

「とてもよくお似合いですよ。青井さんの為に作られた服みたい」

こんな風に売り場に足を運ぶ度に承認してくれますから、こちらは毎回とても気分が良くなります。

洋服屋や化粧品のカウンターにいらっしゃる方々は美しい人が多いですが、その美しい人から褒められ優しくされる自分。

なんにもない、何者でもなかった自分が、OKになれたような気がする。デパートにいても大丈夫な気がする。この服を着れば自分は無敵。群馬でも銀座でもどこでも歩いていいんだ。

何者でもなかった私の心が、満たされている気がする。

でもね、その満たされる感じって一瞬なのです。

買い物中、デパートを歩き回っている時の自分の気持ちよさから一転、自宅へ帰ると元の退屈で面倒な気分に戻ってしまう。

沢山買い物をしてきても、いざ自宅に帰ると、さっきまで自分にピッタリだと感じていた洋服が急に似合わなく感じる。

あれ?これさっき買ったやつと同じものかな?なんてね。

さっきまで熱狂的に好きだと感じていた洋服への興味が急に色あせていく、なんてことが良くありました。

そんなことが続くと、家に帰ってくればガッカリするのは分かっているので、ショッピングバックを開けもしないで放置、ということも。

あれ?私、何にお金を払っているんだろう。

洋服や化粧品を買ってきても、最近は袋を開けもしない。

そんな時は買い物で散財した自分を責めまくりで‥

それなら買わなければ良いのですが、いやいや、まだまだ、買い物に行きたい!私を無敵にする武器が足りない!甲冑が欲しい!

世間一般で言われているこうあるべき30代、こうあったら輝ける40代…みたいな虚構を探り探りながら生きてきたみたい。

雑誌などメディアの中で展開されている輝ける世界。

例えば妻という役割、夫婦仲よしが「良」とされる世の中で、正解ってなんだろう…どうすれば愛され妻になれるんだろう。

そもそも私愛されてないし。何なら鬼だし。破壊神だし。カーリーだし(インドの戦争の神様です)

私は、自分の中の満たされない気持ちを慰みで補っていたのです。

それは、寂しさを紛らわすもの。

本当に欲しいものは手に入らないから、せめてこの慰みでなんとかまぎらわせようという気持ち。

慰みでいくら自分を満たそうとしても、自分にとってそれが真実でない場合は、いつまでも満たされることはないのかもしれません。

私にとっての真実とは、「パートナーシップ」と「自分の心からやりたかった仕事」に向き合うこと。

でも、それに向き合うには、少し勇気が必要でした。

向き合うのに勇気が必要なのは、そうなる理由があったから。

そこを認めて、自分の真実を見るのは覚悟がいるけれども。

真実はあなたを傷つけない。

それがあなたにとって真実ならば、本物ならば、それを目指すことであなたは傷つくことはありません。

あぁ、そんなこともあったなぁみたいな。

今となっては散財も自分の気持ちに気付くため、だったけどまぁお金は使ったよね(てへ)みたいな、痛痒いような気持ち。

今となってはそんな感じになってしまう。

慰みって言葉に「チクッ」と反応する自分がいたら、

一緒にあなたの真実を見てみませんか。

お話聞かせてくださいね。

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