自分の頑張りを認めるのは実は辛いこと

自分を好きになる

カウンセリングサービスの青井あずさです。

いつもありがとうございます。

今日は頑張り屋さんについて。

カウンセリングでは、クライアントさん自身の問題についてお話していただくのを聞いているうちに、この人は本当にがんばってきたのだなぁと感じることが多いです。

そしてこういいます。

「ずいぶん頑張ってきましたね」

でも頑張ってきた人ほど、こう言います。

「私そんな頑張ってません」

とお答えになる確率、高いです。

いやいや。

そんな人こそ、頑張り屋さんだと私は思いますけど!

超頑張り屋ですけど!

たいていこの頑張り屋さんというのは

成果の出ていない自分の頑張りを頑張りとは認めない

というポリシーをお持ちです。

成果が出ていないから、自分は頑張っていない。

むしろもっと頑張らなければ

と思っている方が多いのですが…

はっきりいって、それ「頑張りすぎ」ですよ!

ストイックすぎませんか。

どこまで頑張るつもりだ!と突っ込みたくなるほどです。

このようなクライアントさんとお話した時に私が考えることは、こんな感じ。

この人は、その成果のためにどれだけの時間を費やしてきたんだろう。

どれだけの心のエネルギーを費やしてきたんだろう。

どれだけひとりで取り組んできたんだろう。

よくあきらめなかったなぁ。

この気持ちをずっと抱えて、「成果を出すまでは」と頑張って努力をつづけてきたんだろうなぁ。

本当に頑張ってきたすごい人だなぁ。

このような方がいらっしゃったときに、こちらが提案するのは

「たとえ成果が出ていなくとも、その費やしてきた心のエネルギー、時間、あきらめなかった自分を承認してあげませんか?」

ということです。

すると、多くの方はこう言います。

成果の出ていない自分は認められない、と。

かつての私も言うでしょう。

このダメな自分を隠したくて頑張ってきたのに、どこを認めろと?(怒)

成果の出ないことを頑張りとは認めない「めちゃくちゃ頑張り屋さん」にとって、それを認めるのは、実はものすごい勇気のいる事だと私は感じています。

なぜかというと、

成果の出ない頑張りを自分で認めてしまったら、

それにまつわる悔しい気持ち、失敗感、惨めさ、弱さまで全部自分だと認めなくてはいけないような気がするから。

出来なかったけれども、ベストを尽くした、

そう思うには、失敗感込みで自分を認めなくてはいけなように感じるから。

これが本当に辛い。

だって理想の自分でいたかったから。

理想をめざすうちは、失敗はないことにすればよかったから。

ありのままの自分なんてほんとにちっぽけで、それを隠すために努力してきたのに、今までの頑張りってなんだったんだという気持ち。

理想が、頑張ることが、アイデンティティだったのに、それ取ったら何が残るんだろう…みたいな。

今までの頑張りが否定されるように感じてしまいますよね。

でも、この辛さを越えて、ありのままの自分を認められたら。

私がクライアントさんに対して思っているこの言葉

「どれだけの心のエネルギーを費やしてきたんだろう。

どれだけひとりで取り組んできたんだろう。

よくあきらめなかったなぁ。

この気持ちをずっと抱えて、「成果を出すまでは」と頑張って努力をつづけてきたんだろうなぁ。

本当に頑張ってきたすごい人だなぁ。」

この言葉を自分にかけることができたら。

どんなに報われる思いがすると思いますか。

どんなにホッとする気持ちになるでしょうか。

失敗は怖くないことだとおもえませんか。

自分の未来を信頼できると思いませんか。

良かったらお話を聞かせてくださいね。

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