こんにちは。カウンセリングサービスの青井あずさです。
いつもありがとうございます。
私は最近ビジョンを見るワークショップに参加したのですが、その時に「今年はこれを手放すぞ」と決めたものがあります。
「子どもへの心配」です。これを手放そうと決めています。
昨年から、カウンセラーの先輩や友達に相談してきたのは「子どもを過剰に怒ってしまう」ということでした。
子どもを過剰にしかりつけてしまった原因となったのは、子どものトイレの使い方。
気付くと子どもを過剰に怒ってしまっているということが2回続いたときに、息子はとうとう池袋まで家出をしました。(自宅は群馬県)
子どもに何が起こっているのだろう。もしかしてうちの子どもって、問題児?やばいかも。
ちょっとした緊急事態として、先輩や友人に相談したのです。
私「トイレの使い方で怒ったら子どもは家出しまって。どうやってしつけたらいいんでしょう。私も過剰に怒ってしまうし」
するとこのように言われたのです…
「子どもへの心配が過ぎるの。それ手放しましょうよ。それより、パートナーとはどうなってる?」
あのー、私は子どもの話をしたかったのですが…
あのー、私は子どもの事が心配でその話を聞いてほしかったんですけど…、
と言う気持ちが出てきました。
しかし、私も心理学を学んでからしばらくたつので、この質問がどういう意味かすぐに理解しました。
私、もしかして典型的な過保護なマミーをやっていたのかも!!
まったく気付かずにやっていた!
過干渉なんて、うちだけは違うと思っていたけど、実はめっちゃやってた~
子どもの事を心配する母親の自分は、まっとうで正しいと信じていて、まさか過干渉になっていることに気付いていなかったのです。
私の場合は、子どもを一人で育てなければと思っていた時代がありました。一人で何とかしなければという思いが強かったのです。
そうするとすべての意識とエネルギーと感情が子どもに向かうのです。
これは言い換えれば自分のエネルギーのはけ口が子どもになるということ。
自分としては母性から子どもに与え保護してきたわけですが、時期が過ぎればその母性のネガティブな面が子どもの自立を阻んでしまう力になりかねません。
そういえば、うちの息子もう中学生だった。反抗期だった。
人間の成長プロセスにおいて、子どもの反抗期というのは自立につながっていく大事な時期なのです。
反抗期というのは子どもが親の保護下から自立していくために、親への反発という力を使って離れようとするプロセスです。
うっかり、自分の過保護でその機会を奪ってしまうところでした。
自分の過保護に気付けたのはいいのです。いいのだけれど。
なんかさみしい気がする。息子が離れていくみたいで、さみしい!
私は心の中で息子の成長を認めていなかったのでしょうか、まだ手のかかる子どものままでいてほしいという願いがあったみたい。
子どものままでかわいがらせてほしい、与えさせてほしい、関わらせてほしいと思っていたみたいです。
表面上は彼の成長を喜んでいても、心のどこかで「大人にならないで!」と言う気持ちがあったのかもしれない。
だから、トイレの使い方というセクシャリティに近いあたりで目くじら立てて怒っていたのかも。
それだけ、子どもの赤ちゃんの時代が幸せな記憶として残っているということなのかもしれません。
この本当のところの自分の気持ちに気付けなかったらば、私はこのまま子どもの自立を阻んでいたかもしれません。

でも気付けたから。気付いたら自分で受け入れて、あとは違う選択をするだけ。
子ども時代を一緒に過ごしてくれた彼に感謝して、心配は手放そうと思います。
そして、今まで母性として使っていたエネルギー。
それは本来夫に向けたらよかったエネルギーかも。
とりあえずは、「私はさみしい気持ちをかんじていた」ということから。
夫と分かち合おうと思っていますよ。