また怒りをぶつけてしまっても、あきらめなくていい

怒り

パートナーとの仲が上手く行くようになってきたなと思っていても、自分が思いもよらなかったところから怒りの気持ちが出てきてしまって「私せっかくここまで来たのに、また前の怒り玉に戻ってしまった」と自分にガッカリしたことがありました。

ガッカリしすぎて、当時世話になっていたカウンセラーにさえ「また以前のように夫を殺しそうな勢いで怒鳴ってしまった」とは言えなかったのです。

状況が良くなってきことが嬉しかったぶんだけ、またもとの怒り玉に戻ってしまった自分の不甲斐なさ、ダメさにガッカリ。

夫だって「やっぱり変わってないね」と呆れさせてしまって。

自分を応援してくれたカウンセラーだけはガッカリさせたくなくて、「また怒った」と言えなかったのです。

あれだけ底だと思っていた状況が変化し始めた所だから、「私も変われるんだ」と嬉しくなったところだったのに。

でもこれってプロセスが進んでいる証拠ともいえるのです。

自分の物の見方や考え方が変化していくときに、このようなことが起こるようです。

怒りでお見えになった方のプロセスが進んでいくと、怒りの下の自分の感情を感じていくことが出来るようになってきます。

怒りは感情の蓋と言われます。二次感情です。

怒りの下には「わかって欲しい」「助けてほしい」「愛してほしい」が隠れています。

怒りを相手にぶつけている状態は、自分で怒りの下の感情を見れないので、相手に対して「どうにかして!あなたのせい!自分では無理!見れない見たくない!」と舵を渡してしまっていると言えるのですが、怒りについてカウンセリングが進むと、その下の感情に自分で触れることができるようになってきます。

すると怒りを表現をしなくとも、自分の感じていた気持ちが見えてくることが多くなり、相手に怒りをぶつけることがなくなってきて結果、関係性が変わっていくのですがこの辺りに来ると、まるで揺り返しのように元の自分に戻ってしまってガッカリ、みたいな気持ちが出てくることがあります。

私が自分の本当の気持ちに気付いていき、状況に変化がでそうだと思ったときに、感じていたのは「え?こんなもんなの?」という気持ちでした。

あれほど私が怒っていたのは二人の間につながりが欲しかったからだと気付いて関係性が変わってきそうなときに感じていたのは、「こんなもんか」というがっかり。

なぜかというと、自分の「怒りの表現」がとても激しかった分だけ、関係の再構築の際に得られる感情も劇的なものなのだと思い込んでいたのです。

でも絆が戻ってくる時に感じたのは、もっと別のもの。じんわりと心に温かさが少しずつ戻っていくという感覚でした。

そしてそのことに違和感を感じていたのです。

何だか思っていた感じと違うとか、こんなの自分っぽくないとか、自分にはそぐわないみたいな感じ。

そう思っていた矢先、思わぬところからまた怒りがぐわーっと出てきて、いつもの怒りモードに戻ろうとしているように感じたのです。ハイハイ、やっぱり私のセンターは怒りだよね、と妙に納得してしまうような気持ち。

でも、この「やっぱりね」と言う気持ちにひっかからなくて大丈夫。ここであきらめなくても大丈夫です。

この「前の自分に戻ってしまったような気持ち」って、実は誤解です。変化していくときに出てくる思わぬがっかり感というのは、過去の痛みが「もうあんな目に合いたくない!傷つきたくない!」と最後の攻防を仕掛けてくる時だから。

それは心の防衛機能なのです。

でもそれって自分が変化を迎えているって証拠だから、あきらめなくても大丈夫。

もう一回彼に怒ってしまっても、そんな自分のことをあきらめなくて大丈夫です。

そんな時って、自分のことが信じられなくて、すごく苦しい思いでいるかもしれません。

自分ってやっぱり変われないのかもと思って、今までやってきたことが無駄になったように感じ、そんな自分を責めているのかもしれませんね。

そんな時は一人にならずに、カウンセラーを頼ってみてくださいね。ちょっと勇気を出してあなたの誤解を解いてみましょうよ。

ぜひお話を聞かせてくださいね。

お待ちしています。

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